· 

そこには必ず、物語(ストーリー)がある

 人は人からモノ(サービス)を買う。

 あの人がお勧めするものなら欲しい。

 あの人から買いたい。

 あの人に会って、サービスを受けたい。

 そしてその背景には、必ず「ストーリー」がある。

 

これは私が社会人になりたてのころに教えていただき、そして、今でも大切にしていることです。

 

ぽちっと指先ひとつで家まで届くネット通販など、便利に買い物をすることができるようになりました。

私もよく使わせていただいています。

 

しかし、ネットで買ったほうがどれだけ安くて便利でも、あの人に会って、あの人がこだわって作ったモノ、勧めてくれたモノを、あの人から買いたい。

そういう特別なモノって、やっぱりあると思うんです。

 

そして、そこには必ず、「ストーリー」があります。

どうしてこの商品(サービス)が生まれたのか。

そこにどんな想いが詰まっているのか。

 

商品やサービスの背景に、「ストーリー」が存在しているから。

ストーリーとはすなわち、「自分の想い」が詰め込まれているとういうこと。

 

そのストーリーに共感し、感銘を受けたとき。

人は人から、モノを買うのです。

 

私はこの「ストーリー」をとても大切にしています。

 

私が始めた「NEKONOTE活動」のストーリーは、まさに「ネコノテ」から始まっています。

ネコの手も借りたいほど忙しい、困っているあの人を、どんなに微力であっても、手助けしたい。

 

困っている人がそこにいたならば、見知らぬ誰かでも、道ゆくすれ違うだけの人でも。

例え、感謝されなかったとしても、それでも何もせずにはいられない。

何かできることはないだろうか。

 

こう考えてしまうのは、こどものころからでした。

そしてその背景にいるのは、私の母です。

 

私の母は、おっちょこちょいで、お人好しで、お節介で、おしゃべりで、とても愛に溢れている人です。

 

相手が家族だろうが、他人だろうが、関係ありません。

気にかけて、目をかけて、話しかけて、手を差し伸べます。

ときには、相手のためを思って、お節介な説教も始まります。

 

こんな母の影響を受けた私は、やはり母と同じようにしてしまうところがあるのです。

若いころは、便利に使われたり、逆に執着されたりして、傷ついたこともありました。

 

しかし、もはや「遺伝子レベル」で体が、口が、勝手に動くのです(笑)

 

偽善とか、綺麗事とか、理想論とか、そんなふうに言われることもありますが、ぶっちゃけ私にとって、誰かが私の言動をどう思うかは、関係ありません。

ただ、私が人生を懸けてでもやりたいと思ったことを、これからひとつずつ、実現していくだけです。

 

これが、私のストーリーです。